佐山雅弘の音楽旅日記

蜂だ!後頭部を狙ってる!スタッフが我が身も顧みず素手で懸命に追い払おうとしてるが、よほど則竹(裕之=D)のことが気に入ってると見えて、まるで離れない。隣のキーボード席から向谷実にタオルを投げ与えられたそのスタッフ、思いきって払えば則竹、何のことかと一瞬怯むも、神保(彰)、ポンタに続いてのドラムフリーソロとあっては後へも引けず、というよりは入り込んでいてハナっから何ごとも眼中に無きが如し。

駒ヶ根のfestivalは飯綱のそれとともに信濃毎日新聞の肝煎りで起ち上がったときから縁は深かったが、出るのはなんと10年ぶりである。PONTA BOXとしては初出演というのもちと意外。まあ、飯綱のほうが佐藤允彦さんを中心としたリアルジャズ、駒ヶ根のほうは松岡直也、T-Square, Casiopea といったフュージョン仕立てで来てることを思えば、オイラが御無沙汰するのもやんぬるかな。burning wave,prism,morning flight といったぐあいに、所謂フュージョンムーブメントのさなかにプロ入りしたものだが、進路というもの、ままならぬ、というよりは、したいことをする、買ってくれるところに草鞋をぬぐ、役目が終われば去る、このくり返しを振り返れば、足跡として残っているのが進路であり、(演奏の)スタイルになっていく、というのがどうやら僕の型のようであり、この点、止揚あたわざる芸術衝動ないし表現欲求に突き動かされて絵筆をとったり、踊り出したりする人々の純粋さに及ばないという多少の劣等感がありながら、奇妙なことに微量の優越感も含んでいる。

久々の長旅(20日間)の途である。

まず名古屋のスターアイズでソロピアノ。自分的なソロピアノの行く先が朧げながら垣間見えた一夜でもあったが、つぎからつぎへと現れる女性客が皆浴衣姿ではないか。いずれもそれぞれによくお似合いの色や柄、満員の客席60人の中の1ダースの年頃浴衣娘てぇのは、なかなか壮観で、他のお客さんたちにとっても、佐山雅弘のピアノ以上に足を運んだ甲斐のあることだったのではないか?

翌日は同じ場所で小井政都志と大坂昌彦が合流してM’s(マサちゃんズ)、そのまま吉良のインテルサットへ流れて黒葛野敦司をゲストに迎えて大いに盛り上がっているところへ次の日のゲストであるAKIKOが「海に行きたい」というので、一日早入り。華やかに艶やかな夜になった。JAZZ VOCAL にも苗字のない、江戸時代の町民のような名前の人が現れるのも面白いが、英語が完璧で、絶対音感があって、そのうち一つでも世の中を渡っていく芸になるというので、一生懸命獲得しようとして挫折していった人たちが多かったたものだが、当たり前のようにそれらが備わっていて、nice body で今時の顔、ってのがでてくるっていうのがいいですね。歌もうまいし客あしらいもいいし、バンドとのコラボレーションもうまいから、TOKUとともに時代をリードしていくんだろうな。

夜(明け方?)のうちに皆に別れを告げておいて、早朝の列車を乗り継いで駒ヶ根へ。ナルチョ(鳴瀬嘉博=B)、石川雅春 (=D)はしょっ中あってるからいいとして、神保、野呂(一生=G)、伊東たけし(=Sax,EWI)、高橋ゲタ夫(=B)、、、、いやもう出演者全員なのだが、二十代からの懐かしい仲間、とまではいかないか、同業者、というよりは濃く、友人、というにはその言葉自体の定義に立ち入りそうだし、、、、、ともかく旧交を暖めるにjazz fes.は我々にとってありがたい場でもある。就中、変な話で恐縮だが、二人のユニットとなった現PONTA BOXのサポートべ-シストがグレッグ・リ-で、この三人はPONTA BOXの原形とも言えるかつてのTー5トリオであることだ。時は巡り人は育ち廻り廻って一緒に音を出し合う会話の中で会わずにいた間のことがプレイの波間に見えかくれするのもいいものである。この日最後の演し物、出演者ほぼ総出のセッション(松岡さん仕切り)でもゲタ夫、(田中)倫明(=Perc)、そして松岡御大におおいなる滋しみをもらった。

ついでながら、僕はこの “unit” というもう定着してしまった音楽集団(という割りには二人だったりする)の呼び方、有り様がいまひとつピンとこない。一緒に音を出したらバンドじゃないの?ロック畑の人がいう進退生死までもが一蓮托生的な意味合いを込めた “BAND” っていうニュアンスにも照れを伴った抵抗を感じるが。ロックバンドでありながら、レギュラーのドラマーがバンドメンバーではない(glay)というのは僕には奇異に感じるのだが、自分の立ち位置にも明確な定義付けができない限り、口中の独白以上のものではない。定義付けはできなくても、するべきことははっきりしている。生まれてからつい一瞬間前までの、使えるものなら前世までも総動員して、この瞬間のための音を出すこと、これである。少なくともジャズは、勝手に拡げさせてもらって多分音楽演奏というものは、客席と(二度と還らぬ)時間を共有する上に成り立っていることを前提にするならば、その一点を外しては空しいものになるだろう。

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