佐山雅弘の音楽旅日記

shimmering…..なんだけど日本語ではなんというのかな?水面がキラキラと細かくさざめいていて、細かく光を反射している様子なのだが。旅行英語しか出来ないオイらが情景に応対するに英語の形容詞を以てし、それに相当する日本語が出て来ないこの語彙の貧しさ乱雑さに愕然とする。不勉強は勿論だけど戦後教育の歪みを我が身の体感として思い知らされるのはこういう時であることだ。

10cmもない浅き川のさらさらと清流はあくまで透明で河床のさざれ石のくっきりと鮮やかなこと。親戚のおじさんのごとくたたずまっている小振りの緑山はあくまでわれわれを見守る近親者であって、ここ播但において大自然は克服すべき敵対する自然ではない。

兵庫県大屋町。人口4000人のこの町に初めて来たのは四年前。信号が一つもないのに、100人程のキャパの総木造のホールにbosendolpherのconcert ground piano はあって、思わず自作、クラッシックなどのレパートリイにメニュウを当日変更して、それがまたじつによく響き、大いに気を良くして、自作自演ピアノ作品風、っていうわがままな演し物を探究する今日に到るきっかけになった(多謝)。そんなprivateな思い出の土地だったのが、この度じっくりと味わってみて、深く感ずる所があった。以下、まとまりと正確さを欠くのを覚悟の上で聞き齧りを断片的に思い起こしながら書く。

ここ大屋町山間部の明延地区は十数年前まで銅や錫を豊かに供出した鉱山だった。少量だが金も出たらしい。それがある時閉山の憂き目を見る日が来、川沿いから山の中腹にまで居住区を作って暮らしていた8000人が忽然と言っていいありさまで姿を消した。今は坑道の残務処理のための小さな会社がポツリとあり、廃坑を利用(とまでもいかぬが)してワイン倉庫よろしく地酒(名水の地故に灘に劣らぬ涼やかな清酒である)の貯蔵などに利用している程のことだが、感慨を催すのはそういう人の世の盛衰ではない。

鉱山という一種荒ぶれた産業とそれにまつわる労働者の一時代を経ながら、それらが過ぎ去った後に静謐な自然が変わらず残っている、この点である。環境もさりながら初めて訪れた時もこの度も感ずる人気(ジンキ)、暮らす人々の気風というものが、あくまでおだやかなのである。人足でわいわい賑わったことの一度でもある集落はどこかなげやり或いは一種のスサミが身につくものだが、ここにはそれが微塵もない。これは純度の高い精神を持った指導者の下、外来者と代々の人々のrespectに基づく交流が偲ばれる。ほらやっぱりここでも適当な日本語がでない。尊敬って言っちゃうとずれるんだよなぁ、人間としての尊厳の相互尊重とでもいうか、、、。

さて人口の急激に減った大屋町に東京のさる音楽集団より 「町民を元気づけるべくコンサートを開かないか、運営実費だけでお手伝いする」という申し出があったそうな。それは有り難くも楽しげなことだというので有志が実行委員会を作って準備にかかったところ、ピアノだけはどうしても用意しなくてはいけないことが判り、一体どの程度のものを買えばよいのだろうと額をつきあわせて出た結論は 「ええい中途半端はやめて一番いいってやつを買ってしまえ」となり、それからそこらじゅうの心当たりに 「一番いいピアノってのは何で、それはいくら位するのか」と聞いて回ったというのだから素人は恐ろしい。

取材の結果、一千万円でベーゼンドルファーを購入すれば世界中から誰が来ても文句は出ないこととはなったので(あたりまえである)、町内は勿論、東京など各地で活躍する町出身者を総当たりして寄付を集め、買い付けてしまったものである。

すごい。

搬入された時、置き場所がないというので、小学校に据え置き、小学生のみならず、町のだれでもが好きに弾いてよかった。コンサート当日は会場までの山道を何人もの男衆が世界最高級のグランドピアノを乗せたリヤカーを曵いた。

すごい。

しばらくして、ピアノの置き場所が山間部の小学校というのも垢抜けないから適当なホールを作ろうかという話になり、もともと木工、木彫が特色の町でもあることだし、木造の円形劇場を建てた。

すごい。

コンサート~ピアノ購入~ホール建設……と、やってることがまるで逆の順番だが、行き当たりばったりもここまでやれば大したもんである。それになんだかこっちの方が正しい順番に思えたりもする。

話はそれるが、大分県玖珠町に行った時『山田うどん温泉旅館』というのに泊まった。怪体な名前の由来を聞くと、、、、

 1  ご当主山田氏が土地を買ってうどん屋を初めて『山田うどん』
 2  しばらく商売を続けるうちに温泉が出て、風呂屋も始め、それが『山田うどん』の隣の『山田うどん温泉』
 3  温泉客も増えたこととて宿泊施設を作ってそれが『山田うどん温泉』の二階に『山田うどん温泉旅館』 というワケで、あくまで時間軸上じつに正しい(?)ネーミングだったのだった。

大屋町の立派なホールに鎮座するベ-ゼンドルファーのエピソードからの連想だがもとより関連性はない。

閑話休題。この日わくわく到着してみると裏の和室に通され、てっきり楽屋だと、靴を脱いで上がってみると、件のべ-ゼンが置いてあるではないか!”こ、ここで演るのか”とこわごわ聞けば、この一週間ホールの方では木彫の大掛かりな展示会があってどうしても使えない、アットホームでよろしかろうとの爽やかなお答え。えいままよ、と 『rhapsody in blue』など試し弾きはじめるとそこはそれ、ピアノにイイ気持ちに弾かされちまって、開場直前までバリバリと弾き続け、本番は本番で畳敷きにぎゅう詰めの老若男女に酷かもしれぬ大音響(もともと、3000人のホールでも鳴り響きが行き渡るようにできてるのである)を浴びせてしまって、、、、ゴメンナサイ。

「いいね!」して最新情報を受け取ろう!