佐山雅弘の音楽旅日記

晴れ渡った海上、朝日の照りつける甲板で、飛び立ったばかりの飛行機の大きな腹を見上げる。和歌山から車で泉佐野、フェリーで淡路島は津名に着くまでの一時間半、村田陽一なら早速パソコンを開くところだろうが、村上、佐山組はひなたぼっこである。人目がなければスッパになって普段日にあたラぬところまで甲羅干しをしたいところだが、貸しきりに近いといえ親子連れなどチラホラと見かける平和な晩夏にそれは憚られ、素足を陽にさらすに留める。

大好きな淡路島も紀伊水道から向かいつつ海越しに見つめていると、好きな女性の新しい魅力を改めて発見したようなしみじみとした愉悦がある。神戸もそうだが、それよりなお海近くに迫る低めの山を覆う密度の高い森に縁取られた空はその故にいや増して広く、中天は高く、天然の枠組み、つまり山際あたりは親しみを持たせるように近い。

関西人は総じて淡い味を好むとされる。勿論その通りだが、付け加えるならば、その淡さの中に隠れて決して表には立とうとしないが、しっかりと自立し、思想にも似た主張のある、しかも必ず工夫の効いた仕事ななされているダシ、旨味、もてなしETC を尊ぶのである。勿論脂の乗った新鮮な魚類はうまいと思うのだが、鯖寿司や赤身の鮪(トロでなく)のそこはかとした味わいに惹かれるが故に、コテコテの新鮮物に対して少々身を引き気味にもなるのだが、そこで淡路!である。味覚の傾向即ち素材の選択、刺身であっても、どの程度仕事を加えるか等の味の整え方、食材の組み合わせなどはバッチリ上方でありつつ、海の幸の新鮮さが両立しているのだからたまらない。

岡山から始まった伊太地山伝兵衛ライブレコーディングツアー(三日間)である。伊太地山伝兵衛(vo,gi)佐山雅弘(pf)石井康二(bass)村上ポンタ秀一(dr)という面子。実はこのツアーは今年の四月から五月にかけて行われる筈だったのだが、村上氏がNYで肺炎、入院で止む無く流れたのだった。がしかし結果的にはそれが良かったのである。その頃伝兵衛は例によってツアー中、ポンタの合流に合わせてレコーディングにシフトチェンジする予定だったのが、どうも体調が思わしくない。ポンタ事情で休みになったのを幸い医者にいくと、その場で入院、腎臓炎になっていた。村上の肺炎も recording を中止させる訳には行かぬ気持ちから少々(どころではなかった筈だが)の痛い辛いは我慢しようとするのが悪化させた訳だし、伝兵衛の病院訪問時までの事情も規模と内容は違っても似たような心理だったろう。つまりその時に廻ってるツアーのメンバーやスタッフ、主催者などにかける迷惑を考えると、”ま、二三日すりゃ良くなるだろう、”なんて根拠のない楽観論に身を任せつつ相当なところまでは我慢をするっていうのは芸人というか大なり小なり看板を張ってる人が当然のように身につける行動様式だとは思われる。

だからこれはあくまでも想像だが、pontaが無事帰国していたら、伝兵衛はなんとしてもlive recording を遂行しただろうし、結果手後れに確実になっていただろう。ある意味pontaは自ら死の淵に立つことで伝兵衛の命を助けたことになる。大村憲司が急死した時、さすがにponta氏も外面的には気丈にしていても兄弟以上に助け合い尊敬しあって日本の音楽シーンを共に創り上げて来たこの親友の死に呆然としている時、普段なら絶対拒否していたのをこの時ばかりは周囲の者に連れられるまま身体検査に行った所、食道に12ケ所の静脈瘤が発見され、当然即入院、あわや命をとりとめたものである。

美談にも教訓にもしたくはないし、散々周囲に迷惑をかけ続けながらひとつの芸を極めようとする一点において帳尻をあわせようと長く過ごしてきた者がある程度の年令になってから我が身の健康に汲々とするなんてことはしたくないのが当然ではあるが、願わくば、友人、仲間には健やかであってほしいものである。

さてこの二人の大病仲間が、status,genre,所得etcの壁を超え、岡山”モグラ”でライブレコーディングを終え(収録日が一日だけってのが潔くてよろしい)和歌山でライブをした。ここには ground piano どころかaccustick piano がなく、オイらの弾くのはやすっちいkeyboardながらメンバーのアンサンブルに助けられいい演奏ができた。翌日はbosendolpherなのにたいしたことが出来ず、残念でもあるが、わからんもんである。で、この日の打ち上げが、、、、すごかった。

高橋氏スターになる、の巻

1 ライブハウスのビルがそのままホテルなので珍しく演奏終了後シャワーを浴びて打ち上げに遅れていってみると既に二十人強の盛り上がりかかったところ。
2 差し入れのポールウインナなど食べて機嫌よく飲み進む。
3 佐山、ponta の一緒のライブが久しぶりというのでこのシリーズ、京都大阪は勿論、東京九州からも何人も来てくれとても有り難くうれしきことではあったが、
4 名古屋からきてくれた某女性(若)が jazz vocoal をならってるなんて言っちゃったもんだから、もうあとはお決まり。route 66,all of me など唄ってもらい(伴奏は当然オレ)ponta の、アドバイスではありながら、音楽の深い話にみな納得し、
5 ながれでピアノソロ何曲かやるうちにビートルズシリーズになり、
6 何故だか沢田研二シリーズになって2~3曲経つうちポンタより、一番の名曲は”君をのせて(宮川泰作曲)”であるとの説有之。
7 場内殆ど同意の意志表示有之もなんたることかpianist、本人(沢田氏)との同曲共演経験不拘有、思い出せず booing をうける中、「Cから始まってですね、、、」と声を出したのが、それまでだまってニコニコと飲んでいた(こういう飲み方、つまり騒がず乱れず潰れずに、場の雰囲気を壊さぬまま少々の暖かみのみを醸し出すような飲みかた、パーティへの参加の仕様のできる人を、大人または紳士といいます)某放送局のえらいさん(らしい)だったから皆吃驚。
8 当方イジワルの気持ちは勿論毛頭なく、かといって期待もせずに ”ちょっと弾いてみて”というと、なんと遠慮がちながらも確信をもった歩みでピアノへ向かってくるではないか!
9 ポロポロと弾き始めた曲はたしかに件の曲、恥ずかしそうながらもとっても好きな歌、という風情のうたごえは満場の共感を呼んだが、クライマックスがそのしばらく後に用意されていることとは神ならぬ身の上、誰もが予想だに出来ぬのも無理からぬところであった。
10 受けもしたし、ピアノに寄り掛かって一緒に口ずさむ村上ポンタ秀一も、この時ばかりは幼き可愛さ漂うばかりの上機嫌ではあったが、そこは素人芸、曲は続いているのにさわさわザワザワとお喋りがクレッシェンドしつつあった
11 そこへ、ピアノのコード進行のみ(本人的には間奏部分であったらしい。頭の中ではさぞゴージャスなオーケストラが鳴り響いていたことだろう)が突然ブレイク(音楽は進行していつつも音の全く無い状態または場所)して、場内の会話もつられて一瞬の静寂が訪れたその時、
12 ”ア、ア~アァ君を~のせて~!”と最終部分の絶唱になったものである(それも原調の C 、つまり高さとしてはジュリーと同じ)。
13 これで高橋さん、伝兵衛よりPONTA よりよっぽど聴衆の心を独り占め、佐山の数曲の演奏なぞはちよっとした前座、”THE STAR OF TONIGHT”に輝いたのであった。

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