川端民夫の深淵

2015年6月11日
川端民夫の深淵

川端民夫の深淵
教え:一つの音からは3回リズムが出ている
リー・オスカーを交えた全国ツアーの佳境。釧路だったと思う。皆での食事&飲み会の後、ジャズバーに飲みに出たのがたまたま川端さんと僕の二人だけだった。それまで挨拶くらいしかせず(寡黙な人なのだ)なんとなく怖い気もしていたのだが良い機会だと思っていた。レコードを聴きながら会話のきっかけもなく一時間ほども過ぎる。無言で過ごすというのは中々ないこと。その状況自体を味わおうとしていた。やがておっとりと「リズムの取り方なんだけどさぁ・・・」とぽつりと話し出す。
「裏拍の一拍を打つにも音の出る場所・のびてる長さと質・切るタイミング、と3回リズムを出しているのだよ。意識しているかい?」
「いや、考えたこともなかったです。けど、あのスピードの中でそんなことまで意識は出来ないでしょう」
「いや、そこをきっちりしないとビートは出ないし、全体のグルーブも安定しないんだよ。君のプレイにはその緻密さと言うか、意識そのものが欠けているので不安定なんだ」
「そうですか、でも・・・一拍に三回のリズムの点を意識する、というのは机上の理想論な気がします。」
「では明日は弾くのをサボッて良いから僕の音符をじっくり聴いていなさい」

翌日は函館の道新ホールだったと思う。シンセサイザーの前に立っていつまで経っても弾かない僕に古澤さん始めメンバー全員、意に介することもなく音楽が進んでいく。こういうところが良いですね。弾かない人には弾かない人の判断があるのだろうという尊重が当然のこととして行き渡っている。それだけに個人の自立と責任感がいっそう問われるのだ。
そして川端さんの一音符一音符を聴いていると脂汗が出て来た。
一つの音符を弾き始めるときの緊張感と決断。のばしている時の集中力。音切りのタイミングを絶妙に探り当てる周囲への気遣い。
踵を付けて直立する演奏姿勢。うつむいた額から汗が一筋二筋ツツーと落ちる。格好良い・・・けど近寄りがたく巨大に見える。
一小節に三つも四つも出す音符の一つ一つに三つのタイミング。そのすべてに集中すること。出来るのだ、と思うと音楽をすることが恐ろしくなった。
それ以後のツアーは辛かった。まぁ「楽し辛い面白い」なんだけど。気楽に楽しいだけの音楽時間が、人を見、我が身を振り返り「友が皆 我より偉く 見ゆる」のである。意識して見回してみれば僕以外の全員が「リズムの点」について実に細やかに気遣い、対応しながらアンサンブルを進めていく。僕はと言えば、ステージに立ちながら観客的な感動をしつつ手も足も出なくて、それでもソロが回ってくると思い切り弾き倒す。妙な時間の経過が日に2時間。後はやけになって飲んだくれる。
ミュージシャン、それもジャズミュージシャンなんて食えるわけがないのだから、やがて家業をつぐまで楽しむだけ楽しもう、くらいに考えていたのが、「こりゃ一生かけての探し物だな」と思ってしまった。
ツアーの終わり頃、親父に電話した。「約束を違えるけれど、一生音楽をしないと済まなくなってしまった。家は継ぎません」と告げた。分かったとも好きにしろとも言わず「やっぱり東京の大学にやるんじゃなかった」。実感だったろう。

世間話:
武田和命バンドは僕にとってとても重要な音楽・ジャズキャリア(経験)だが人生哲学的にも面白かった。A型人間の変遷を目の当たりにするのだ。
広木光一の“律儀さ”が、やがて小山彰太の“我が道を行く”になり、最終的に武田和命の“世捨て人”になってゆく。これはある時の彰太さんの述懐なのだが、武田→逝去、彰太→札幌でマイペース(世捨てまでは行ってない、念のため)、広木→いい感じの完全マイペース、という現況を見るにつけ、実に穿った見解であったといえるだろう。
その武田さんと初めて会話をしたのはバンドを始めてから1年近くも経ってから。挨拶だけで楽屋にずっといる。一緒に飲んではいるが、話しかけても「おう」とか「ふふん」と返されるだけで話が次にいかない。残りのメンバーでがやがやしていて楽しいのだが武田さんは一言も喋らず、それでも一番最後まで飲んでいる。
「“共に時間を過ごす”こと自体がコミュニケーションの基本であり、おしゃべりはその付随である」ということが今は分かっているのだが、若いとき、それも関西人にとってはとても難しいものである。武田さんや川端さんとの交流(無言交流)を通じて人生の大事な部分を学ばせてもらえた。

おまけのエピソード:
ボガンボスKyon(Key)の京都時代。あるバンドに誘われた。大尊敬する先輩に「話でもするか」と呼びだされ、四条河原町辺りの交差点で待ち合わせた。そのままガードレールに座って車や人々を眺めているのだが、バンドの打ち合わせはおろか、世間話も出ずに無言の1時間強。「今日はそろそろ帰るか」と言ってその日は別れた。その後バンド活動は始まり、続いてゆくのだがあの時のコミュニケイションが実に大きかった、と回想していた。さすが京都大学、という風には思わないが、わかるヤツはハナからわかってるんだなぁ、と思える良い話だ。

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