絶対音感・非礼賛 後編

2015年4月16日
絶対音感・非礼賛 後編

 絶対音感の定義には二種類あると思う。
① 自然に音程を絶対的な高度で把握する能力
② ピアノのピッチを完全に覚えていて、全ての音をそこに当てはめる(中間音は中間音として)
① はモーツアルトが幼くして姉のバイオリンのピッチのズレを指摘したと云う類いの、いわば本当の絶対音感。
② はピアノ教育を幼い頃から受ける事で身体にそのピッチが入っている場合。
問題なのは②のほうでピアノのピッチというものは自然倍音に寄せながらも12の調性それぞれが成立するように微調整しているので①の絶対音感とは似ていながら自然倍音の感覚が薄れるのではないか、と想像するのだがどうだろう?絶対音感のあるピアニスト(今や殆どがそうだろう)に聞いてみたい所だ。
シンセサイザーのストリングスの音が高音部ほど低めに聞こえる。これは高音にいく程平均率より高くなる度合いが増すはずの自然倍音が、平均率のまま調整されているから。変と云えば変だが妙な面白さもある。
青柳誠はA音の440サイクルを「今日は441ですね」などといって僕を驚かせる。トランスクライブ能力も抜群で、さぞ便利だと思うが、多少でも調律の狂ったピアノを弾くくらいならデジタルピアノの方が気持ち悪くなく弾けるのでそちらを選ぶ。僕はデジタルピアノの全体の響きやタッチ感が厭なのと、さほど耳が良くない幸いで、そこそこ調律が悪くてもナマが良い。使用する機器の違いよりもそこに至る考え方、感じ方の違いが音楽に現れて個性の差に鳴ると思えば興味深く楽しめる点である。
絶対音感が無くて良かったと思う事はいっぱいある。先ほどの話の、調律具合に神経質にならないで済むこともそうだが、楽曲の成り立ちやソロの音列の意味が瞬時にして分かる事が筆頭だろう。トニックが必ず“ド”に聞こえるお陰で対位法の理解もとてもわかり易い。
絶対音感があったらなぁ、と思うのはオーケストラを聞く時。ホルンがいいフレーズを吹いている(チャイコフスキーの4番冒頭)。ファゴットが絶妙な跳躍を見せている(ベートーベンの4番4楽章)。そんな時に、どの音域で運動しているかがわからないので家に帰ってスコアで確かめる手間がかかる。バイオリンのヒィヒィ鳴って情感をかき立てられるとき(ブラームスの4番)に絶対音でわかれば即座にアレンジや作曲のツールストックに入れられるのだが・・・。
まとまりも落ちもつかないままこの稿を終わります。いまのところ書きたいテーマが見当たらないのでなにかリクエストが有れば・・・

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