差し入れ月旦4

2015年2月19日
差し入れ月旦4

差し入れ月旦 その4 DVD
タイガースフリークの友人が映画3本とライブ2本のDVDを差し入れしてくれた。
“銀河に浮かべた白い小舟〜♪”もういけませんね。「ジュリーっ!」て叫んじゃう。僕が中学生で聴いていた時に最高の音楽に聞こえていたのが如実に甦る。そのときにどのように聞こえていたかも克明に思い出せる。演奏レベルは今の僕の耳で聞くと低いが、受け取る感動は演奏レベルの問題ではないのがよくわかる。
ここが“アイドル”なんだな、僕にとっては。
“銀河のロマンス”“落ち葉の物語”王道の4度進行と平行長短調の魅力に、そうとはわからないまま取り付かれていたのだ。その頃からハーモニーとベースラインに自分の耳が寄っていた、あるいは酔っていたのがよくわかった。“廃墟の鳩”の斬新な転調に痺れたのもその時の部屋の様子と共に思い出すから面白いものである。
ある歌を聴くと往事が偲ばれるような話はよく聞くものだが、今の音、今聞こえる音を懸命に探している身としてはさほどの興味は無い。とはいえ・・・
AKBその他アイドルと云われるものに痺れている人々の気持ちがなんとなく理解出来る気がした。”捉えられて離れられない何か”がそこにはあるのだろう。それが衣装だったり顔立ちだったりしても、僕にとってのハーモニーその他“耳が寄っていく、酔っていく”音楽的要素となんら上下のあるものではないだろう。
もっと重要なのは、ジュリー、サリーにとてつもなく惹き付けられて、彼らが何をしても(下手な演技や注文通りの目線)好意的に受け入れてこの世で最高のものに思えるこの心理である。ここがジュリーファンの僕とモモクロファンの共通項で、アイドルの存在意義にも繋がるだろう。
湯川礼子さんに“エルビスにあそこまでキャーキャーいわれるほどの魅力があるとは僕には思えないのだが何がどのように良いのだろう?”と質問したことがある。しばらく考えてから「そりゃぁもう・・・シビれちゃうのよぅ!」とおっしゃった。その“間”と語調がすべてを表していると思った。あの知性と論理の才女をして、生臭く感覚的な表現をさせてしまうのが“アイドルの密と毒”なのだな。
と、ここまで考えても依然その魅力の実体は具体化しない。そこがアイドルなのか。
アイドルという言葉には今や“具体的能力には欠けるけれども”という枕詞がつきまとう気がする。司会が上手な“TOKIO”のメンバー、芝居の上手な“嵐”なんて、上手であることでアイドル性からは外れるだろう。
でもキースジャレットもビルエバンスも立派にアイドルなのだ。研究し分析して千歩のうちの一歩でも近づくことが出来ることは芸術・芸能の遥かなる道で、アイドル性とはまるで別個であるけれども、“捉えて離さない引力”“理屈や言葉で説明出来る範囲を遥かに超えた魅力”の面でタイガースや加山雄三に通じる何かを僕は感じる。「キースもビルもジュリーに決して劣らない」という論法はどうも変だが、感動の時系列とでも言おうか・・・、
僕の内面、心底にある響き線をふるわせる何かがあって、その響き線を震わせるなにかをみずからも出そうとして表現作業にいそしむのだろう。でき得れば人様との共振も求めて。

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