伝兵衛の記 最終章ひとつ前

2015年1月30日
伝兵衛の記 最終章ひとつ前

   精力的に
さあ大変。週に2回あるいはそれ以上の回数病院に通わなくては行けない体になった伝兵衛君がどうしたかというと、以前にもまして精力的にツアーを組むのだった。国からもらった“第一級障碍者”のミシルシ。交通機関は付き添いのものも含めて半額。高速道路使用量も半額。ツアーの経費が随分助かるので全国行脚がラクになるという計算はよいけれど、カラダのほうは持たんだろう。おとなしくしてるよりは、歌って歌ってぶっ倒れたらそれまでよ、という覚悟。
思ったより長く、というかその頃にはもう忘れかけていた15年後に突然の終わりを迎えることになるのだが、その間の充実ぶりを見ると彼の選択は正しかったように思える。

”Red Zone”
ジャズピアノ6連弾ツアーで知り合った天才女子高生サックスの寺久保エレナ。どうせアメリカの大学に行くのだろうからその前にワンツアーしようと思い立った。見所を感じていた若手に声をかけ“レッドゾーン”というバンドを結成。寺久保エレナ(As)馬場孝喜(Gi)中林薫平(B)国場幸隆(Ds)。
お披露目ライブをした目黒ブルースアレイに旧友がきていてCD制作会社をしているという。そこで急遽自主盤も作りテレビ番組も仕込んで、さあツアー。仕切りを伝兵衛に頼んでライトバンにぎゅうぎゅう詰めで関西から九州を回る。
エレナはつい最近ボストンのバークリー音楽大学を卒業して久しぶりに会ったら“未だにあれ以上きつい仕事には出会ってません”と言っていた。よい経験をさせたものである・・・のか?

“スティーブ・ガッド”
PONTA BOXを抜けて以来ポンタ氏との共演はお互い敢えて避けていたのだが、伝兵衛がなんとか一緒にさせようと画策する。余計なことをするな、とは言っていたものの、何かのきっかけがなければ再共演はないままになっていただろう。そういう“結びつけ”的なことに彼はやりがいを感じていた節があり、若手だった成瀬明の起用(今やすっかり頼りになるギタリストになった)だったり、地元のミュージシャンを集めてのフェスティバルめいたことも数多く手がけていた。

そんな折、別府でのイベントで何年ぶりかの佐山・ポンタ同席が実現。その後たびたび一緒になることが増えて遂に2014年秋にはオリジナルPONTA BOX20年ぶりのコンサートが実現するのだ。自分ごとも含んでいるので口幅ったいが、他方面に亘って音楽界に貢献していたとも言えるだろう。
その極みがスティーブ・ガッドと村上“PONTA”秀一の共演。

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