3月雑感

2015年4月3日
3月雑感

 先のブログへのコメントで絶対音感という言葉が出た。佐山には絶対音感があると思ってくれてる人が随分多い。実はないのです。そのことで面白いはなしがあるので書こうと思っていたが、このところの出来事が随分嬉しいこと続きなので今回はそちらの雑記にして、次回絶対音感にまつわる個人的なお話を。

1 福本健一
喇叭屋の福ちゃんが客演すると言うのでスズナリに見に行った。終戦直後の浅草レビュー館の話で福ちゃんはどさくさの中で紛れ込んでくる漫才師夫妻。いつもながらの聞きやすいセリフ回しと軽妙な演技で楽しんでいたら最後には号泣していた。良い芝居だった。清濁併せ呑む日本人の“情”を大事にしていこうよ、てなことなのだが役者がうまいとこんなにも心を動かされるのだな。
2 秋山和慶
ミューザのアドバイザー会議での秋山先生の発言。サマーミューザのフィナーレでマーラーの「復活」を手がける。何度も演奏はしているが一番の我が家である東京交響楽団での演奏は意外にもこれが初めて、等々のエピソードも興味深かったが「この曲はマーラーの中でも特に完成度・音楽的密度・芸術性、すべてに突出した作品なので楽しみ」であるようなことを仰った。
僕はマーラーを人々があまりに有り難がるのがよくわからないでいたのだが、これを機会にコンサート前の予習(そんなこともまずしないのだが)をしようとCDを二種類、オーケストラスコアとともに入手して何度か聞いてみた。わかった。動機とその発展。それぞれのパーツが随分長いのだ。ベートーベンのごとく各部が密接に有機的に配置されてはいるのだが各パーツが長いため僕のようなジャズ耳には捉えきれなかったのだろう。劇版的な部分も長いから要所要所の夢のようなメロディが聴こえる頃には飽きていたのだな。ラフマニノフもそうだが展開の中にフッと現れる天国的な旋律には宙にも上るような快感を覚えるのだろう。
分析的なことは一旦置いて、自発的に溢れてくるであろう音楽的快感を待とうとするのだが・・・待ち時間が・・・長い。
3 金哲義
大阪に本拠をおく劇団“May”の座長。ひょんなことから知り合い意気投合。入院前に渡された9本の芝居のDVDを見て感動していた。新宿タイニーアリスの閉館に伴って行われている芝居を見ることが出来た。素晴らしかった。在日朝鮮人3世が北の故郷を訪ねる話。通り一遍の知識がいかに危ういか思い知らされた。
名台詞があった。
“国のことと人間のことは別に考えんとあかんよ”
“これが今生の別れなら思い出す顔は笑顔がいい”
4 岡崎芳郎
横浜二俣川サンハートでのジャズクリニックも3年目になり充実の度合いを深めている。受講生たちとの交流も得難く楽しいものなのだがその日のリハーサルでのこと。
楽曲持ち寄りでプロコーナーを執り行うことになり僕の担当はカーラ・ブレイの“Lawns”。CDでの井上陽介、ジャズフェスでの小池修など忘れられない名演が僕の思い出にはぎっしり詰まっているのだが、さらりと流したリハーサルでの岡崎のトランペットソロがなんとも美しく切なくピアノの手を止めて聴き入ってしまった。“きょうこの音楽が聴けていることで生きていてよかった”と思っている自分に気づいて驚いた。これって“感動”ということそのものじゃないか。それにしては中学生のときにオスカー・ピーターソンを見に行って身悶えするほどの熱量がわき起こらないのは何故か。年を取って若い頃のように感動することが出来なくなったとこのところ思っていたのだが案外日々の感動はいただいているのかも知れない。静かな形で。恋心の炎の変化にも似ているかも知れない。

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