絶対音感”非”礼賛 前編

2015年4月10日
絶対音感”非”礼賛 前編

 絶対音感はあった。小学校一年生、それも二学期からのピアノレッスンだから今どきとしては遅い方だがそれでも、4年生頃にソナチネソナタを弾く頃には固定のドレミで認識していたことに伴う絶対音感はあって、ピアノがなくても決まった音程では歌えた。ただ坂本九の“見上げてごらん夜の星を“とかパラダイスキングの”ミスターベースマン“など流行り唄はドレミでなく歌詞で歌っていた。もしくはラララ。音階は意識してなかったんじゃないかな。中学にあがって間もなくピアノ教室に通うのをやめた。
2年生の秋に転校。同じ尼崎市内の杭瀬にモダンな団地が出来ると言うので申し込んで当選したのだ。因みに大学で上京するまで尼崎市内3カ所に住んだ。わかりやすく(もないだろうが)阪神沿線の駅名で言うと、生まれたのが西端の“尼崎センタープール前”小学校から中2の夏までが中部“出屋敷”そして東端の“杭瀬”。思い出したことがあるのでちょいと本題を外れる。挿話終わり、まで飛ばしてくれてよいです。

挿話

転校前に通っていたのは尼崎の西はじの中学校で朝鮮分校からあがってきた生徒もそこそこいた。頭山(トウヤマ)君と仲が良かった。僕は毎日同じ弁当。もう飽きたというまでウインナと卵焼きにしてくれとリクエストしていたら3年間飽きなかったからすごい。母親は楽だったろう、共働きだったし。ただ頭山君は毎日売店で何かのパンと牛乳を買って食べている。今思えば弁当持ちの方が良いのだが当時は買い食い的なことがしゃれて思えた。羨ましそうに見ていると「一つ食うか」と二切れのうちの一つを寄越すのだ。なんと気前の良い。きっとお金持ちの子供なんだろうと思っていた。
ある日、呼ばれて彼の家に行ってみると典型的な朝鮮部落。とても雑然と楽しい。自転車に鍵をかけようとすると「この集落に泥棒はおらん!鍵はかけるな」と強く言う。そういった発言や雰囲気から子供といえどもいろんな状況、人々の気持ちを学ぶのだった。畳に直に置いた皿から食べる料理はとても辛くて美味しくて、頭山が嬉しそうにニコニコと僕とオモニを交互に見ながらパクついていた光景はいいものだった。
我が家の両親は戦争中の教育を真に受けて朝鮮人が大嫌い。それでも正しい認識をしている同年代の大人はいっぱいいるのだから、うちのは知性と思いやりがなかったのだな、悲しいことだ。そのころはそうとはっきりわかっちゃいなかったし、彼ら(両親)も隠すばかりで表明はしない。雰囲気だけは察する子供としては、朝鮮エリアで遊んできたことは何となく内緒にしていた。
このはっきり言わずに済ますところも日本人の嫌なところだが子供心に何かは感じていたのだろう。隠すことに依って差別がなくなることは決してない、ということが身を以てわかる。。
40歳も半ばになった頃阪急三番街でばったりアベック同士で出会い、嬉しかった。まるで変わってなかった。ハムサンドイッチパンの味が口に広がった。「こいつはなぁ秀才やったんやぞ!ピアノがうまくてなぁ。いまどうしてるんや?ピアニストか!それは凄いな。そんな大物になると思とったわ。」と勘違いながら心の底から喜ぶのである。これは感情の起伏が激しく、往々にして誤解もされる朝鮮民族の、最も熱く健気な、我が身を忘れて友人を大事に思う素晴らしい心情風景なのだ。
挿話終わり

さて転校。同じ尼崎市内の杭瀬にモダンな団地が出来ると言うので申し込んで当選したのだ。今度は東端の町でヤクザが多かったり昆陽野など被差別部落関係の人種が複雑に絡み合っていてそれもまた面白いのだがきりがないからやめる。
その転校した先の音楽担当が“清水先生”。ピアニスト志望であったが歌を教えることが音楽の楽しさを伝えるのに一番だと思ってらして(僕も今だにそう思う)とにかく独唱曲、合唱曲を次々歌う。楽しいことこの上ないが、「調性の中心音を“ド”と読めば音程もとりやすいし曲もすぐ覚える」というので試してみるとその通り。こりゃいいや、といわゆる“移動ド”でせっせと励んでいるうち、昔習ったソナチネなど引っ張りだして“移動ド”で読んでみた。すると・・・まぁわかりやすいのですね。楽曲の成り立ちが。
ヘ長調だとするとFが“ド”。そのキーで読んでいると最初のリピート前に“ソ”のキー、つまりCメジャーに変わっている。いやはやよく出来ているのだ。繰り返した時は元のド(F)のキーだから同じことの繰り返し。でもなんだか新鮮。
リピートを超えると“ソ”のキー(C)をそのまま踏襲したりソの同種短調(Cm)だったり。その場合はCを“ラ”と読む。なかなかややこしいがその場その場の歌心はバッチリ出るのだ。やがて元のF調で“ファ“を ”ド“ と読み進めていると今度は展開するところで転調せずそのまま終わりになってめでたく最初の調整でしまる。ソナタ形式ですね。理論用語でなく、ひらがな読み下しのように楽理・楽式を体感する。
その名前を知らなくても和音の進行とメロディの関係など気持ちよくなっちゃって、ソナタアルバム殆どを移動ドで弾ける頃には絶対音感は奇麗さっぱりなくなっていたのであった。まるで後悔はしてないんである。

後編は一般論的に両者の長所短所を考えてみたいと思う。

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