伝兵衛との記 JAN22

2015年1月23日
伝兵衛との記 JAN22

    伝兵衛ツアーじゃない伝兵衛仕切りツアー
小井政都志(B)大坂昌彦(Ds)と組んだスタンダードピアノトリオ“M’s(マサちゃんズ) “結成は大坂の帰国した1990年辺り。2000年頃から僕の活動のメインにしてホール公演などしていた。ライブハウスのブッキングを伝兵衛に頼んで各地廻った。
移動と宿の兼ね合い、報酬の確保などマネージャーとしても大したもので、さすが自分でずっとやって来ただけのことはある。
僕は参加しなかった伝兵衛セッションにPONTA氏や房之介氏を交えることもよくやっていた。2人とも気楽で確実なゲスト仕事に満足してたと思う。
シカゴ
そんな折2001年1月に初のNYレコーディングに行くことになったら、その時期シカゴでライブするから合流しろと云う。無茶な後付けブッキングには慣れていたがついに海外に及ぶか!面白い、てんで別段ニューヨークとシカゴは近かぁないんだが寄り道とは相成った。
真冬のミシガン湖畔はそりゃぁもう寒くて寒くて大変だった。あるストリートにツーブロック空けて2軒のブルースハウス。どちらもライブをしている。一つは僕たちにも耳馴染みのある有名曲が中心。もうひとつはアレンジも随分モダンなイマドキブルースセッション。
ワンステージ聴いて移動すると丁度始まるような時間設定になっている。ミュージックチャージも共通でとても良いシステム。1時間弱のステージを楽しんでいるうちには酒も進んでほろりとしているのだが雪の中をツーブロック歩くうちに良いも醒め、またウオッカなど注文してしまう。店にとってもオイシイシステムだったろう。

病を得る
その2001年の夏にまたNYへ行った。今度はPONTA BOXの録音。ウイル・リーやアンソニー・ジャクソンとご一緒出来たのはなによりの財産。一緒に演奏することで新しい自分を引き出してもらえたり、勿論良い作品が残せることも素晴らしい出来事だが、共に時間を過ごすことで空気伝播のようにミュージシャンシップと云うか人となり、世の中の見方というか、価値観みたいなものを受け取らせていただく感じがするのだがどうだろう。
何かの折にドナルド・キーンさんと2人で過ごしたたった15分ということがあって、源氏は谷崎が良いでしょう、みたいなことのほかには話題も無くなって2人で海を見ていた。すぐにではなくしばらくしてからキーンさんが、じゃぁまたいずれ、と去って行かれた。あとに何とも云えぬ大きい贈り物を頂いた気がしたものだ。
さて、二週間のレコーディングが終わって帰路につこうとするとPONTAの具合が悪い。自覚はあったが作業を停めてはならぬと我慢を重ねていたのだった。調べてみるとなんと肺炎にかかっていたのだ。
我々は冷たくも予定通り日本に戻り、1人病院に残ったPONTA氏をウイル・リーが毎日のように見舞いに来て色んな思い出話をしてくれたそうだ。NY生まれ育ちの同年代。同じようにシーンを作って来たリズムセクションの会話はさぞかし楽しかったことだろう。
その頃伝兵衛である。予定の帰国を待ってPONTA入りのツアーを組んでいたところ急報が入って帰って来れない。その1週間程前から伝兵衛もなんだか具合が悪いのだが仕事の前には我慢が利いてしまうバンドマン体質が災いして放ったらかし。そこへPONTA休業の報を受けツアーはキャンセル。自らも病院に掛かってみると・・・
そこで腎臓の疾患が発見されたというのだ。何がどう巡って幸いするかわからないものである。

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