佐山雅弘の音楽旅日記
眼下800メートルに小さい乍らも緑豊かな島が点々….じゃないな、可成りリアルな大きさで海から突き出ている。八人乗りのプロペラ機の最前列、ということはパイロットの真後ろで五島列島若松町に思いを馳せるよりは、恵まれた天候でのBirds’ Eye Viewに浸ること、ひとまばたきの間としか思えぬ25分間だった。
知らぬ間に十年の付き合いになり、今年は50カ所以上も二人きりのツアーまでした瀬木貴将の長崎公演のアンコールは町役場の三階集会場で行われた。130席のパイプ椅子には違和感を覚えたが、SB-400という名器を作れるヤマハが量産用とはいえ、何故コンナ?と思える機種のクセに抜群に状態のよいG-2で、久し振りにもかかわらず、静謐な緊張感の中の透明な自由開放感を味わうことが出来た。
「何かこう、演奏中に見てるもの、見ようとしているものがまるで違うみたい。普通の人ともだけど、私の見聴きしてきたミュージシャンとも異なったいて…。そこに何が見えるのかもちろん私には解らないんだけど、演奏家がそこを見てる、みようとしてる、そこの居合わせていることでとても満ち足りるみたい」と、はにかみつつ感想を述べたアエちゃんは相当豊かな女性だと思いました。
ピアノを弾くのは運動技術もさり乍ら,Voicing, Comping, Touch, Dynamics etc.左右の脳総動員といった感があるが、瀬木の場合、オリジナルとは雖も単音の、どちらといえばゆるやかなメロディを吹く一点に毎日毎日集中している訳だから(決してナガさないのがよくわかるのデスよ、だって聴いちゃうとやっぱり感動するんだもん)裕で繊細でしかも強靱な心を作り上げるのに成功した人なんでしょうね。
高千穂峡の天の岩戸の荘厳な静けさに打たれている俺に「随分と大袈裟なビジネスですよねぇ」と変な感心をする鋭くもイノセントで(俺から見て)ドライな現代っ子の内面には矢張り音楽を通してでないと触れられなかったのかも知れない。
楽隊逸話その3
物腰柔らか思い遣り溢れる人格の滲み出る風格の内側にジャイアンツと長嶋茂男への狂気に近い愛情と憧景を隠し持つギタリスト中牟礼貞則が雪村いづみのリサイタルの仕事に向かう途中、自宅に電話をいれた。「オレ今日どこへ行くんだっけ?」何とか無事に幕が開いた。前田憲男の絶妙なアレンジで曲が進む。四曲目はピアノトリオによる伴奏でギターは休みなのだが、氏は三曲目の譜面をめくると出てきた五曲目を先ずは躊躇うことなく弾いていた。なんと、ショーの4,5,6の曲にギターは5,6,7の譜面の音を合わせた所で気がついたのだが…..。中牟礼氏談「何か妙なんだけど前田さんのやる事だからきっと狙いがあるんだと思って必死に一拍ずつ追いかけてたんだよ」
雪村いづみ「目眩がしたけど前田さんの編曲でムレさんのギターなんだから間違えるんならワタシだからと思ってよけい一生懸命歌いました。ジャズメンてすごいなァって思いながら」
おおらかな時代と愛すべき先輩達である。