佐山雅弘の音楽旅日記
「花」を弾いている。 春のうららの隅田川・・・というあれである。A-Majで始めて、F-Maj等混ぜながらC-Majのkeyに行ったり来たり、マァJazzのimpro風に・・・。そして先程ガラス越しに見た資料譜面を思い起こして遺作の「憾」(ウラミと読む)のモチーフをこれは原調のD-Minorで、細部まで憶えていないのでクラシカルな形態の短めの演奏にまとめた所で係のお姉さん二人の拍手を頂いた。滝廉太郎資料館である。九州は大分県竹田(タケタと濁らずに読む)という城下町、武家屋敷一帯の中の廉太郎が上京前二年半暮らしていた広い邸を市が買い取って一般公開しているという。
十五で上京十七で入学(今の東京芸大)十八~二十一で我々の知っている全てといっていい歌を書いた。「はとぽっぽ」、「荒城の月」、「花」を含む「四季」、「箱根の山」等である。二十二で卒業と同時に国費留学でドイツはライプツィヒに行くが、オペラ見学で引き込んだ風邪から当時は不治の病だった肺炎、結核になり泣く泣く帰国、病院のベッドで「憾」を最後に書いて死んだのが二十三才半である。
洋々たる前途を見ながら朽ちる悔しさに思いを馳せるよりは、十七~二十歳の間に、本人も知らぬ間に一生分の仕事をしていたというところに、才能のありよう、天の配剤のようなものを感じつつ、案内された廉太郎の部屋を二階に持つ離れの入り口に置かれたアップライトピアノでの即興演奏となったような経緯であった。
竹田を訪れた本来の目的は、勿論ライブコンサートである。町のはずれの山間部、といっても竹田の町は隣家に行くにもトンネルをくぐるという程起伏の激しい土地で、道の途中でもはさまった車を助け出して、「お茶でも・・・」という人情味溢れた若奥様の誘いを断って辿り着いたのは、オーナー手作り(!)のログハウス。照山さんが作ったので「もみじ」と名付けたという笑わないと悪いが笑いにくい喫茶店で、二階にホールを作った後でグランドピアノが入らないことに気が付いて、壁をぶち破ってピアノを入れ、その跡を窓にしたってぇから乱暴な話じゃァないか。え?
逸話5
近藤房之助が「Liver Break Band」(肝臓破り)で全国ツアーをした。東京を出て、静岡を皮切りに新幹線で博多まで、更に下って鹿児島まで行くのだが・・・・。
旅回りにも女の子は付きもので、静岡に行くとそれなりに静岡のコが待ち受けているのだが、近場だてんで東京からもそれなりのコが来ていたりして、打ち上げ会場は女の子がダブりつつも楽しい中にパチリと火花の飛び交う独特の雰囲気に包まれる。次の名古屋に行くと、昨夜の物足りなさを補うべく何名かの静岡勢を御当地名古屋勢とで打ち上げは少々人数が増える・・・。と、そうこうして京都神戸と流れて、熊本での打ち上げ会場は15人で一杯の店にバンドメンバー8人とスタッフ4人に最早どこから来たかわからない女性が30人ギュウ詰めになって、しかも全員断れないような後ろめたさをメンバー全員感じているので妙にしおらしく、リトルリチャードのライブビデオなどかかると、ホッとしたように一時盛り上がるのであった。