佐山雅弘の音楽旅日記

「で、お名前は何と?」

「ヨーコです。」

「う~ん、いい名前!!苗字は?」

「………..」

マダム系の多いパーティー会場に珍しく居た若い女の子にベースのえがわとびをが話しかけている。断っておかなければならいが、いくらバンドマンとはいえ、これはナンパではない。立食カクテルパーティでの、短い会話でどんどん相手を代えていくという流れのひとコマではあるのだが・・・件の“ヨーコ”女史には苗字がなかったのである。

豊田市の福祉団体の主催によるコンサートの後、一番大きな控え室を使って行われた打ち上げパーティ。東京に柏朋会という、やはり福祉団体があり、その元締めが三笠宮寛仁親王、奥方が二十五年来のタイムファイブファンで、彼女のお誕生日に殿下が秘かにタイムファイブを呼んでおいて、パーティの佳境で突然アカペラコーラスをプレゼントする・・・なんていうオシャレな事もなさっておいでなのだが、コネクションは 傍らに置いても、高い技術で愛と夢を届けてくれる日本一のコーラスグループであることは間違いないだろうそのタイムファイブが去年暮れメルパルクホール行われた柏朋会定例コンサートに呼ばれ、オレはゲスト出演という格好だったのだが、いやー、ゲストはいい!ニ部の始めに二曲程ソロを演り、彼らのレーパトリーの中、ピアノフィーテュアのものに二曲参加して、あとはアンコールに出て行くだけだもんね。オイシイ所だけもらって本当に涎が出る程有難い。

話がそれた。

その東京でのコンサートの流れで豊田市に来ているので、殿下の御家族もいらしており、例の“ヨ-コ”サンはその次女で、「三笠宮瑶子女王親王」であらせられるのであった。

「だってぇ、フツーの格好下フツーの女の子なんだもん。お姫様なんだったら、キラキラの着物でカンザシのひとつもつけといてくんないとわかんないよう」とえがわは冷や汗だましにわめいておったが、ナニ、後の祭りというもんである。人間油断は禁物。油断といえば・・・

タイムファイブのコンサートはほんとうにいつも、どのレパートリーも素晴らしい。

「Ronte66」から「夜空ノムコウ」まで、息を呑んだり、涙線ユルユルしたり、何回何十曲聴いても飽かず感動するのだが、その中に「コーラスの歴史」という演物があり、グレゴリオ聖歌の単旋律から五度重ねによる中世的な荘厳さを聴かせ、やがて今の形に完成された和声法にいたる。寄り道で、浄土真宗のお声明まで披露するのがまた素晴らしく上手いし、interestingというのか、教養的に興味深くも面白く、最後に「ゴォーン」と大リンの音まで入って笑える所になっている。

で、打ち上げで殿下に勅使河原さん(リーダー)が、

「あのコーナーは楽しんでいただけましたか?」と自信ありげに伺うのに殿下のお答え、

「大変楽しく、笑いたくもあったんだけど、うちは代々、神道なものでねェ。周囲の目もあるし、こらえていたんだよ。」

天皇家は神道の大元締であり、この事でこの国が成り立っていた時代も随分長くあった、ということは意外と忘れているものなのである。

これをテッシー(勅使河原氏)の油断というかどうかは兎も角、殿下一流の御冗談だと僕は思っていて、素朴な敬意と秘かな好感を抱いている。

エピソード
今回は本編に因んで、油断した話。

‘97年、Ponta Boxのベースが水野正敏からバカボン鈴木に変わり、お披露目も兼ねたツァーをしていた。名古屋、金沢、京阪神など広範囲の関西圏についてのプロデューサーである橋川氏が、神戸チキンジョージの楽屋で寛いでいる三人の所へ現れた。

Pontaはいつも橋川のBlack Jokeにギャフンといわされているので、普段は脇を締めてかかっているのだが、この時ばかりは真面目に紹介の労を執って、

「橋川、今度うちのメンバーに入ってくれたバカボン鈴木です。これからもPonta Boxよろしくね。」

なんて珍しく殊勝な態度と挨拶をしたその返事、
「あれっ?メンバーチェンジって、ドラムが変わるんじゃなかったんですか!?」

一同大爆笑は、「真空凍りつき二十秒程の間」のあとだった。

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