佐山雅弘質問箱 2015年2月

moutinl
フレーズについての質問です。
投稿日時:2015/02/04 14:03
15年ほど前から佐山さんの大ファンのベーシストです。

特に愛聴しているのが、
ソロアルバムでの”giant steps”と”パリのお嬢さん”、
先日急逝されたOLIGAさんのアルバム内での
三宅純さんアレンジの歌モノの演奏です。

それを踏まえての質問なのですが、
どの演奏でも”息の長い”フレーズを見受けます。
歌モノ的なコード進行でも、giant stepsでも、
細かい音符で歌っている上に音色も綺麗な形で。

自分でアドリブ演奏する際、
管楽器的に歌う様に心がけてはいるのですが、
細かく長いフレーズになると音色が荒れてきたり
終端を手癖に逃げたりするのが悩みです。

心掛け程度の事でも構わないので、
細かく長いフレーズを弾くコツや、
アドバイスが有れば教えていただければ嬉しいです。

佐山雅弘
Re:フレーズについての質問です。
投稿日時:2015/02/16 20:30
 面白い話題なので色々考えていたら長い解答・・というよりは文章になってしまいました。すみません。適当に読み流して下さい。手を入れてブログにエッセイとして乗せるかもしれません。

以下会話風に。
giant steps は今まで唯一アドリブの練習をした曲なのです。
僕の場合コピーはかなりしたのですが自分のアドリブは練習しない主義でした。アドリブなんだからね。練習したフレーズを共演者のプレイに関係なく弾くって変でしょう。基礎練習やクラシックものを弾いて思ったことを弾けるようにしておいて、現場では無心に。聞こえてくる音に耳を傾ける。それこそクラシックじゃないのだからハイテクニカルな演奏は基本的には不必要。聞こえた音や音列が自分のテクを超えていたら残念・・くらいに思っていればよいのです。よくしたもので“聴こえたら弾ける”モンです。
ところがジャイアントステップはコード二個ごとに転調するのでどうしても頭がついていかない。僕は主音を“ド”と読みながらソルフェージュする“移動ド”奏法なので f#をソbミ(→ソ)ミ ド(→ミ)ソ と読む訓練をしてハーモニックリズムを身につけてから(2時間くらい)ゆっくりとフレーズをのせていく練習をしました。これに近いのがボビーハッチャーソンのリトルビーズポエムですね。この辺はピアノを弾きながら話すととても面白いので講座でもしたいところです。
”パリのお嬢さん”。ベースは米木康志。僕はずっとこの人が一番好きです。機会があったら是非聞いてください。宇宙がある、永遠を感じる。嘘がない。誠実そのもの。いくら賞賛しても足りないけど、何か一言で言えるキーワードがありそうな・・・とにかく素敵なベースです。彼のラインから僕のフレーズが淀みなく生み出されていった実感を思い出しますね。
アドリブソロの妙はコードにつれて変わっていくスケールノートの変化に対応しながら、きれいに歌になっているフレーズを作り出すところにあります。あまり意識しすぎるとゲーム性が高くなって妙味がなくなるのですが、基礎として身に付いていると良いでしょうね。八分音符を順に弾いて(ドレミファソラシドレミファソラシドレ・・・)コードが変わるたびにシャープフラットをつけていく練習は発想を訓練する上で有効かと思います。いや、わからないな。「こんなことも出来るな、面白いな」と思ったときには出来ていたから、基礎訓練じゃなくてある種の訓練の結果かもしれない。

先日急逝されたOLIGAさん。
そうですか・・知りませんでした。ご冥福を・・・。今日は中黒(・)が多いなぁ。
三宅純さんアレンジの歌モノ。曲は全く覚えてませんがスタジオでの風景や三宅君にオリガさんを紹介してもらった様子など鮮やかに思い出します。素敵な声だなぁと思った。僕は自分の好きなようにしか弾けない。いわゆる“スタジオワーク”的なご要望に応えるタイプの演奏は出来ないのですが、三宅君はそんな僕を好きなように弾かせておいてちゃんと自分の音楽に仕立て上げていく、という優秀な猛獣使いでした。他のミュージシャンにもそういう対応だったんじゃないかな。
髪型がいつもバシッと決まっていてね。「銀座のホステスのように毎日床屋に行くの?」と訊いたことがある。
代官山のご自宅、超豪華マンションでのパーティに一度呼ばれて、楽しかったなぁ。

歌モノ的なコード進行でも、giant stepsでも”息の長い”フレーズ。
はキースジャレットの影響でしょうね。ピーターソン、ハンコック、チックと自分の流行を追いかけながらエバンス、ガーランド、ケリーをコピー・研究していく末にキースのフェイシングユーからスタンダーズに行き当たって衝撃を受け、二年間ぐらいキースジャレットになりきって演奏していました。他のピアニストと違ってすべてが歌、というか。アドリブラインではなく(チャールスロイド時代はアドリブラインの天才ですが開眼するところがあったのでしょう)作曲としてのメロディメイクなんですね。歌謡性が高い、というと誤解を招きそうですがとにかく歌っている。その方法と、ある種メカニカルな(バッピィと言ってもよい)ラインアドリブを織り交ぜてムードの高まりに上っていくのが僕のアドリブ法だったのですが、このところ(退院後)はあれこれ考えずとにかく歌う、という風になってきました。老境ですかね。
細かい音符で歌っている上に音色も綺麗な形で。
音色は重要だ、と気づいたのは実は40歳もすぎてからで10代の時から“とにかくでかい音、通る音”と考えながらやってました。アケタの店やピットインなど管楽器にかき消される状況での演奏が多かったもので。コルトレーンのバードランドライブでのマッコイを聞くと同じような状況が思い浮かんで、それでああいうスタイルになったなぁ、なんてにんまりします。
音楽の要素は大雑把にみっつ(リズム・メロディ・ハーモニー)、少し広げて六つ(さっきの三つにプラス様式・対位法・音色)。その他音量とか、数え上げればきりがない。けれど、奏者と聴衆のインターフェイスは“音色”だと最近思う。“いいフレーズだな”“バッキングが絶妙だ”“きれいなボイシングを作るなぁ”等々分析的な項目はいっぱいあるけれど、“あ、イイ!”。すとんと体と心に音楽が入るときの言葉としての認識は“いい音だなぁ”でしょう?
だから音楽の3要素、6要素をひっくるめた述語として「音色」という項目が1要素としての音色という言葉とは別にある気がするのです。ただ、その訓練法がわからない。
最近上手なバイオリニストとの共演が多い。寺井尚子、真鍋裕、石田泰尚。みなさんに音色の訓練法を訊くのですが具体的なものはなさそうですね。どんな音を弾きたいかというイメージや、共演者の音に寄り添ってるうちに、とか。それだけ総合的なものかもしれません。
音楽性と人間性をくっつけて語るのは好きじゃないけど、ひょっとしたらそういうこともあるでしょう。結びついている人もいる、っていうところかな。人間としてはどうかな、だらしなかったり細かいことにうるさかったり、気分の波が激しかったり。と思うんだが、音楽が素晴らしい、というプレイヤーはいっぱいいるもんね。むしろそっち(ダメ人間)のほうが多いかも知れない。ただ、今の時代はそういう人が生き残りにくくなっているので音楽状況の混沌とした面白さ素晴らしさは薄まってきている気がしますね。

自分でアドリブ演奏する際、管楽器的に歌う様に心がけてはいるのです。
管楽器の想定は楽しいですよね。このコーラスはアルトの音域で、息継ぎで。次は一旦テナーになってからトランペットに。最後は“ピアノでしかこの音域はできないよねなんてニマニマしながらやっている。

細かく長いフレーズになると音色が荒れてきたり
それはまぁ基礎力の問題でしょうからやがて解決するでしょう。

終端を手癖に逃げたりするのが悩みです。
最後は手癖でダダダダダッ。というのは山下洋輔もそうですからさほど気にしたもんじゃぁないでしょう。
時に拍手も出来ないような音楽的にスムースすぎるソロおわり、っていうのもカッコいいですね。曲によってソロラストだけは仕込んでおくのもテです。

心掛け程度の事でも構わないので、細かく長いフレーズを弾くコツや、
アドバイスが有れば教えていただければ嬉しいです。

心がけとしては“人の音を聞く”ですかね。ベース奏者としては提供する割合の方が多いでしょうからピアニストからはアドバイスしにくいですが。僕の経験則でいえば、人の音、歌とか歌詞とかベースラインとかレガートの具合やフィルの様子が認識出来ている間は自分が何を弾いても(間を空けても、詰めていっぱい弾いても、アブストラクトでも)音楽は成立してどこかへ僕たちを運んでくれます。
ところが、そうこうしているうちに、気がつくと自分の音しか聞いてない状態になっていることがある。それも、割と多くある。一曲ごとにあったりする。そういう時はどうも駄目なようですね。
戦国時代の合戦でいい気になってたら敵のど真ん中、みたいなシーンがありますがあんな感じかな、と思ってやはり笑ってしまうのですがね。あるいは植木等の“あら?およびでない?こりゃまた失礼しましたなんてね。
失敗もまた楽し。音楽、ことにジャズはそれも含めて露(アラワ)な芸能ですよね。だれも傷つけない。受け入れ合える。

アドバイスというよりはエッセイ的になりましたが、楽しく私論・試論できました。ありがとう。
追加質問があったら遠慮なくどうぞ。

「いいね!」して最新情報を受け取ろう!