ブルースについて/リズム変遷“加藤崇之”

2015年5月1日
ブルースについて/リズム変遷“加藤崇之”

 頂いたリクエストから選んで綴ってみた。ブルースについて、リズムについて、と続く。「取りにくいリズムについて」はラテンのツースリーにどう乗っかるか、という話かな、とも思ったが実演と訓練(ワークショップですね)を伴わないと、今の僕の文章力では無理なようだ。
それとは別項目で、リズム鍛錬の自分史を振り返って箇条書きにしてみたらとても興味深かった。以下のようになる。
リズム感獲得(あるいは獲得しきれなかった)個人史・恩師列伝
①加藤崇之の友情
②関根敏行のハンコック話
③津田俊司の足(吉祥寺セントラルパーク)
④本多俊之の苦笑い
⑤古澤良次朗の悟り
⑥川畑民夫の深淵
⑦神谷重徳の機材
⑧小山翔太の瞬発力持続
⑨村上秀一の包容力
⑩松本照男の男気
⑪石川雅春の正確無比
⑫佐藤允彦の事後処理能力
⑬ジョニー吉長の自然体(腑に落ちないフレーズ・歌とドラム)
⑭大坂昌彦のNever To Late
⑮椎名豊のレイヤー
⑯小島良喜の土石流
⑰塩谷哲のエンジン
⑱鶴谷智生の湯船

どこまで続けられるか分からないが始めて見よう。

ブルースについて 前編 個人史
個人体験の話から始めよう。古澤さんのバンドに参加して間もない27才頃ゲストで来た山岸潤史と意気投合した。お互い関西出身で同年であったことも大きいが、彼の懐の広さというのは幼児性を伴った、というか「出会う人々は皆いい人のはずでしょう?音楽が好きなんだから話は合うでしょう?」と心底信じているところにある。そんな生き方をしていたら思わぬしっぺ返しを食らって深く傷つくことが数多くある。そんな傷からかさぶたが出来たり鎧を纏ったりして大人になっていくのだ。彼もそんな目に随分あって来たことは親しく話すうちにわかってくるのだが、それでもその素直な、人を、音楽を信じる気持ちを揺るがせずにこの年まで(タカダカ30才前でも大人になった気にはなるものである)ということに不思議さと感動を覚えたものだ。
その頃に東京での再活動が軌道に乗って来た“ウエストロードブルースバンド”と共演しないか、というので高円寺・次郎吉でのセッションとなった。
ソロ回しやエンディングなど、進行形態がジャズと全く同じなのでスムースに乗っかれる。おまけにブルースばかりなので曲の冒頭でキーさえわかればコード進行はほぼ同じ。リハモニゼーションにも簡単についていける。
ところが、である。3曲絶っても5曲目になってもピアノソロが回ってくるのである。いい気分でいいだけアドリブをとっていてもブルースだけでそんなには続かない。ボーカルのホトケ(という渾名。永井隆)後で聞くといくらでも弾くから面白くて“どこまでやるんだろう”と試していたらしい。
音を上げてしまった。それでもなんとかブルースがましいことが弾けたのは何故だろうと山岸と話していると「そらジャズの元はブルースなんやから、ジャズが弾けたらブルースはそこにはいっとるわな」と単純で奥深い。ピーターソンのアルバム「Night Train」を中学高校と聞き込んでいたのが体に染み付いていての成果だった、とは随分後になってから思い当たった。「Night〜」はブルースアルバム(ブルース形式の曲ばかり演奏したジャズアルバム)だったことも。

①加藤崇之の友情
教え:左手は安定しているが右手(主にメロディフレーズ)にハシリ癖がある。気持ちが先走るのだろうが、テンポとノリ(今ならグルーブという所か)は守られるべきである。

世間話:
22才頃だったか。加藤は同年のサムタイム仲間。天才の呼び声高く流暢なバップフレーズからコンテンポラリーなギタースタイルまで(まだパットメセニーは登場してなかったと思う)弾きこなして心強い仲間だった。
あるときにジョージ大塚バンドに入ってから説教癖がついた。
一体、このジョージさんと言う人は誰彼かまわず説教する人でおまけに関西人が大嫌い。「うどんみたいなズルズルしたものを食ってるやつにスイングが出来るか」と公言してはばからない。プレイは凄い。特にグルーブというか拍の進み方、シンバルレガートの絶妙さと言ったら夢心地。だがしかし演奏中に“スイングしない”と言ってはフロントを引き摺り下ろしたり、ベースアンプの電源をボーヤ(今で言うアシスタントですね。それに奴隷的要素を加味した呼び名)に抜かせたりするから、客として見ていてもハラハラしっぱなしで本来の音楽の良さにシビレていられる時間が少ない。いつの時代にもこういう人はいる。言ってること行っていることは正しいのだが表し方が間違っている。と言い切ってはいけないのだが、少なくとも信者以外には説得力を持ちにくい。
だから加藤のアドバイスも「こいつもジョージ信者になってしまってうるさいことを言いやがる」くらいに思っていたのだが、その指摘が実に正鵠を得ていて、60の今に至るまで悩み続けることになる。

余談: その発言があったのは新宿のライブハウス。銀座ジャンクを経営していた中国系の人の経営するお店。名前は忘れてしまったが優れたジャズ愛好家プラス経営者で口も辛辣だがミュージシャンの面倒を見ること一方ならず。渋谷の”ライブイン”も彼が作った。
高校二年生の夏休み、銀座ジャンクに笠井キミコを見に上京した時から親切にしてもらっていた。その時、別枠で見た(良いバンドだから見ていけ、と言われたのかも知れない)菊池雅章バンドのツードラム(村上寛・岸田恵二)と峰厚介のかっこ良かったことと言ったらなかった。
ジャズと言えども“格好いい!”から入るのだ。教養高そうとか、技術的に高度に見える、とかいうのは魅力の皮相的な部分でしかない。

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