BGM考その2
2015年3月27日
BGM考その2
炭坑にカナリアを連れて入る。人間にはさほどでなくても敏感なカナリアが、少量の毒に反応してぐったりしたり、死んだりする。やがて人体にも影響が出ることをカナリアが教えてくれる訳。
音楽家はBGMに対するカナリアだとは言えないだろうか?
コンビニのジャカジャカは神経を逆撫でする。単調な業務や他人の話し声をマスキングするだろうが、僕の感じる心のささくれは、それと意識していない若者にも潜在的に効果を発しているはずで、キレ易いとか、多少の暴力行為に無頓着になる下地を作っているのではないか、と確信に近く考える。
東京ドーム、ストーンズコンサートの帰り道、いい気持ちで音楽を反芻してるうち、耳の中の音が何やら違っている。水道橋の駅のジングルになっている!一万円返して欲しい。
駅と云えば浜松駅に降り立ったらシューベルトの未完成が流れている。さすが音楽の町、とアピールしたいのだろうが低音も高音も切れ切れの団子みたいな音でのオーケストラは何の意味も無い。それでも鳴っている音は聴音(音を聞き取って成り立ちを分析)するクセがついてしまっているので頭の中でスコアをシュミレーションして補正する始末。疲れるんだよなぁ。
渋谷の地下街で向かい合った店で別々の音楽(と一応言っておこう)がかかっている。同時別曲聴音だ、などと盛り上がるような時もあるが(ハイになってて)まず、気が狂う状況である。店員達は平気な顔をしている。その状況に慣れている心の底流でどんな泥沼が形成されていることだろう。
この稿おわり。