伝兵衛の記3
2015年1月8日
伝兵衛の記3
その2“ジョルジュ”関西の味に目覚める・・・話のはずが広がりすぎる巻。
小さい時から食べ物の好き嫌いは無い方だったはずだが生ものは苦手だった。サバは随分シメすぎて酸っぱいくらいのものが好きで生々しいものはオエッとなったし。ブリ・ハマチは生臭さがいやで嫌い。マグロの赤身が大好きでホタテはズルンとしていて気持ち悪い。
半人前のプロになって各地で美味しいものを頂く。日本のことだから当然刺身類になる。東京育ちで魚嫌いの友人などは函館の朝市に連れて行ってもらってるのにカレーライスを食べていたりしたが、それは受けた親切に対して無礼というものだろう。僕は頑張って無理矢理頂いてみる。すると・・・
美味しいのですね、これが。佐呂間のホタテは生っ白く(ナマッチロク)なく歯ごたえもいい。函館のサバは生かと思うくらいのあっさり〆が絶品。富山のハマチと来た日にゃもう大阪での子供時代から東京生活の中で知っていたのとまるで別物。
そんなこんなで納豆を含むほとんどのものを美味しく頂けるようになっていたのではあるが、大阪での刺身類、すし類は別の見方をしていた。育った所の育った味だから当然大好きなのだが、新鮮さではなく味付けというかネタの種類と云うか。
前置きが長くなった。洲本の話。
ある日伝兵衛が「淡路島は地元だからよくご存知でしょう?」
「小さい時に五色が浜に潮干狩りに行ったきりですね」
「洲本にいい店があるので行きませんか」
絶景の明石大橋を渡ってたどりついたのが“ジョルジュ”。
コアな伝兵衛ファンが多勢いるのに驚いた。イントロのピアノが間違っているとクレームがくるのだ。ピアノのフレーズまで丸憶えしている。そこはアドリブパートなのだといくら言っても納得しない。僕の方は覚えてない。微笑ましくも勉強になり自分を取材し直した次第ではあるが、そのこととは別に・・・
ここは僕の演奏心情だから特に言っておきたい。
録音した音列を生演奏でそのまま弾いたとしても、音が合っているだけで乗っかっている気持ちは違うのだから、かえって最も意味合いの遠いものになると考えるのだがどうだろう?
同じフレーズを弾いて同じ情感を出すのはものすごく技術とマインドの必用なことで、それが出来ているポップスの人々や、それが絶対条件になっているクラシックの人々は偉いなぁとは思う。
片やジャズの素晴らしさはアドリブ。雷が最短距離を貫くように。雨水が図ったように高低差をたどるように。瞬時のフレージングがその場に最も適したイントロや間奏を生む。そこに賭けている圧というかなんだかわからない或るモノがなんだか素晴らしくてなんだかジャズなんだなぁ。
そのあたりを放し飼いにしてくれていた所が伝兵衛の偉さ凄さで、僕たちがなんだか離れられない所以だったんじゃなかろうか。
“なんだか”という表現がやたら多くなったが、この“なんだか”という感想は大事だと思う。詐欺に遭う時、心のどこかで“なんだかなぁ”と思っているのに、理屈でなるほどと思ってしまう。「直感は過(アヤマ)たない。過つのは判断である」と言う名言もある。五味康祐の麻雀に関する言葉だけれど。
やっぱり話が他所へ行ってしまった。次回は洲本の話に戻ります。
差し入れ月旦の他の話もあるのでいずれ・・・