佐山雅弘質問箱 2015年9月③

イノジャズ
移動ド読み、移動度びき
投稿日時:2015/09/21 23:55
他の方の質問のなかで移動ド読みというお話が出てきました。移動ド読みということはアドリブも演奏する時には移動ドで弾くということでしょうか?例えばFのキーの曲ならばファソラシドをドレミファソとうたいながら弾くということでしょうか?
ギタリストは移動ド、ピアニストはきっと固定ドでジャズをやっているのだろうと勝手に思い込んでいました。
私はピアニストではなく、クロマチックハーモニカでジャズをやろうと思っています。やりなれたキーとやりにくいキーにその調整感に差があり、移動ドで自分のメロデイーを操れればいろいろな局面で(コピーをする際、フレーズを身につける際など)有利かと考えています。
移動ドで演奏するという技術はピアニストでは一般的な技術なのでしょうか?もし固定ドで演奏することしかできないピアニストに移動ド的な技術を身に付けさせる練習法があるとすればどのような練習法が考えられますか?ピアノを弾く訳ではないのですが参考にできたらと思っております。宜しくおねがいします。
佐山雅弘
Re:移動ド読み、移動度びき
投稿日時:2015/09/22 08:17
 質問投稿ありがとうございます。移動ドの話は大好きです。以下、会話風に・・・

◎移動ド読みということはアドリブも演奏する時には移動ドで弾くということでしょうか?

△そうなんです。テーマも移動ドで読みます。僕の場合クラシックを弾くときも。

◎例えばFのキーの曲ならばファソラシドをドレミファソとうたいながら弾くということでしょうか?

△全くその通りです。ご明察!

◎ギタリストは移動ド、ピアニストはきっと固定ドでジャズをやっているのだろうと勝手に思い込んでいました。

△大体そうでしょうね。ただギタリストの場合、ドレミという階名では歌ってなくて、ラララでやってる人が多いみたいです。平行移動がすんなり出来るからフレーズを作るたびにその応用もついてくるのでしょうね。羨ましい。最終的には階名でなくラララ。音そのもので作っていけるのが理想的だとは思ってます。”音名じゃない何か、音を超えた何か、音楽を超えた何か。あるいはそれが音楽そのもの・・・みたいな”

◎私はピアニストではなく、クロマチックハーモニカでジャズをやろうと思っています。

△ハーモニカは良いですね。大好きです。すぐに始めて下さい。
ブルースハープが移動ドの典型的楽器ですね。僕は小さい頃にハーモニカ用の曲集があって、それで随分曲を覚えました。”おお、スザンナ!”とか”秋の夜”とかね。その譜面は数字譜で1234と書いてあるのをドレミファ、と読んでいくのです。

◎やりなれたキーとやりにくいキーにその調整感に差があり、移動ドで自分のメロデイーを操れればいろいろな局面で(コピーをする際、フレーズを身につける際など)有利かと考えています。

△その通りですし、調性のある音楽(ほとんどの曲)は調性感が基本です(当然ですね)からたとえ固定ドで読んでいても移動ド的感覚、どこがトニックで今出ている音の和音に対しての位置、調性に対しての役割、などは把握出来てなくてはいけませんね。言葉で書くと面倒で難解な作業に思えますが、実際はなんてことありません。FのキーのG7でC#の音を出す時に、「この気持ちよさは独特だよな。背中のかゆい所に爪を立ててもらってるようだ」なんて感想を持てれば良いのです。理論的にはコードのシャープイレブン(またはフラットファイブ)で、キーに対しては5度(移動ドでソ)のシャープ。ノンダイアトニックでありながら妙に調性感と親和性のあるこの距離感が特徴的な音。ということになります。

◎移動ドで演奏するという技術はピアニストでは一般的な技術なのでしょうか?

△僕の年代(現在60代入口)でも既に特殊なことになっていましたね。若い時辛島文夫さんに「俺も移動ドだよ」と言ってもらって何だか安心したのを覚えている。

◎もし固定ドで演奏することしかできないピアニストに移動ド的な技術を身に付けさせる練習法があるとすればどのような練習法が考えられますか?ピアノを弾く訳ではないのですが参考にできたらと思っております。

△中学生の時に移動ド唱法を教わって「こりゃいいや」とばかりそれまで習い覚えたソナチネアルバムを移動ドで弾き続けていました。すると調子感もわかるし、構成としてはどの曲も共通していて、それがソナタ形式だと言われているのも理解出来ました。
このように移動ドは音楽の理解と表現の具体性にとても有効なのです。というかシェーンベルクが現れるまでは、読み方はどうあれ移動ドの音楽だと言っても差し支えない気がします。とはいえ、古典派でもロマン派でもややこしい曲は移動ドで追ってられませんからね、当然ベートーベンもモーツァルトも移動ド的感性は完璧にありつつも固定ドで演奏してたと想像します。

余談:
僕の義務教育時代は先ほども触れたように移動ド教育だったようです。正確には現場の教師にまかされていたのじゃないか。それがある時から「ドはドである。ファをドと呼ぶのは混乱の元である」といったかどうか、文部省の通達で固定ド教育が義務化されたようです。音楽の専門家の意見も入っていたのでしょうが、
①音楽家にならない殆どの人が音楽を楽しむには移動ドの方が歌い易いし取り組み易い。
②専門家になる人は当然固定ドの訓練は行き届くし、移動ドの感覚は必須である。

だから一般教育を固定ドに限定するのは間違いです。序でのことに話を広げると。
どんな教育も微細なところまで入り込んで教え方を固定化するのは間違ってます。漱石の解釈は斯く斯くのように教えよ、っていうのは変でしょ?

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