M7-M11
2016年2月29日
M7-M11
M7 あの日(ボタンの思い出)
台本での注はシャンソンの物語歌。シャンソンやカンツォーネというと、つい歌い上げるものを想像しがちだが、アズナブールやベコーにはさらりとした愛らしい歌が多くある。日本の歌で言うと“桃太郎”や“浦島太郎”。ちょっと感じは違うけど。
とはいえ、ジャズコードではなく、メロディもインコードで良い曲を作るというのは意外と難しい。悩んでいると鈴木さんからのサジェスチョン。「ワンコーラスを短く作ってあるから、次々に転調すれば・・・」なるほど。字数から言えば、ひとまとまり16小節で作れる。これをコーラス分転調すれば。と、あとは歌の分量から全体の音域を設定してリズム変化をギリギリまで我慢してどここから開放的にするか、などなど方程式を解くように外枠を作っていく。そして全体像が出来た所でメロディをウンウン考える。
達磨に目を入れるというか、こういう順番での作曲もあるのです。既にある楽曲にメロディアスなアドリブをするようなものだから、専門と言えば専門。
M8 あの日(ピーナッツの思い出)
実は台本を最初に読んだ時、この女性歌(歌詞)にとても惹かれて、とてもモダンな、といってもユーミン風だから今どきではないのだが、“時のないホテル”のようなメロディ展開とアレンジの曲を作ったのだった。それも全体作業の中としては結構な時間を割いて。
「良い曲が出来たよ」と聴いてもらった後に鈴木さん。「男の“あの日”と同じ曲で歌えるように歌詞を書いたんだよ。M7が良いからそれにのせて頂戴」。
順番に聴かせるんじゃなかった!というのは冗談だが惜しい気はする。かといってこういうものは使い回したりしてもロクなことにはならないので割愛。
それにしても、恋心の象徴がボタンとピーナッツ。不思議なような、キャッチーなような。可愛いような、洒落てないような。この辺りのカジュアル感も鈴木脚本の特徴ないし魅力になっていることは間違いないでしょう。
M9 運命の幕開け
この曲が好評である。後半のバラードは後で出てくる“未来をおそれず”。前半部分の楽曲はと言うと“うんめい〜”の3つの音だけなんである。あとはギターのカッティングとベースのアドリブパターン。言葉はラップ。でも良い曲が出来たと思ってもいいですよね。
イントロのパターンはJAZZの名曲”チェロキー”に伝説の名トランぺッター、クリフォードブラウンがつけたイントロの借用・発展形。”チェロキー”自体がオールドオング”Indiana”の替え歌。JAZZ100年の歴史が21世紀極東の芸能に脈々と、というのはさすがに大袈裟ではあるが、言えなくもない。
ラップ風にしようという提案だったからテンポ感と小節数だけ決めて、ドラムパターンは勿論、全てのアレンジを放棄して稽古のバンド合わせまでキャストには待っててもらった。
その間の稽古こそ見物で、イントロの16分音符をピアノで弾いて(まるで感じが出ない)手拍子のみで振り付けをしてもらい、それを覚え、ラップを練習。みなさんさぞかし迷惑だったでしょうね。
その分バンドが入って「サンキチィ、バカボン、なんかやってみて。仙波さんも適当に」「じゃ、とりあえず弾いてみますか」と始まった途端、ほぼ今の形になっていたから頼もしい。身内の自慢ぽくて気が引けるけれど、良いメンバーに恵まれたものです。
バンドメンバーの集まり方の成り立ちについて、面白くも感動的なエピソードはあるのだが、それはまた別の機会に。
M10 インターバル
芝居の上では、“歌うハムレット”の1幕が上演されている時間。こちらはグッドタイムシアターバンドの面々が、自分たちのテーマ曲を楽しんでいる。時計店四代目の曲が、実はバンドのテーマソングと同じだという種明かし、にもなっている。
M11 未来の二人は
またまた基本テーマメロディによる、今度は未来への不安と覚悟。この時点の修司として、ポジティブなのかネガティブなのか、という解釈に悩んだ。鈴木さんに相談してみると「・・・」。
台本を自分なりにどう読み解くか。その行為自体が読み解きになり、演技表現になる。ということなんだろう、と解釈した。演出を付けられている気分。悪くない。答えはなくても会話は成立する。
で、イントロにドラマティックなマイナー和音を入れた。マーラーのシンフォニー“復活”の出だしのような。三者同時に“大げさ過ぎるだろう”とすかさず却下。三者とは、演出家、歌手、バンド。
即OKも嬉しいが、即刻却下も良いもんです。そういうことがあるから、OKも擦り合わせも信頼し合えるのだから。