伝兵衛との記 最終回

2015年2月6日
伝兵衛との記 最終回

スティーブ・ガッドと村上“PONTA”秀一の共演。
Stuff結成当時は若き日のポンタ氏のNY滞在時とリンクしており、“あのバンドは俺が入るはずだったのだが諸事情でそうもいかないのでスティーブに託して帰ってきたんだよ”というポンタコメントの真偽はさておき、ガッド・ポンタの親交は疑いのないところ。“このツードラムを見てみたい、歌ってみたいんですよ”という伝兵衛の気持ちの底にはある種のプロデューサー魂と恩返しな気持ちもあったろうか。
そんなことは実現するはずがないので、いつでも協力するよ、と言っていたらなんと二年越しで決めてきましたね。あれは驚いた。
緊張とワクワク満載でスティーブと会った新幹線のホーム。“あこがれのドラマーと共演できることは実に光栄です”と挨拶したら、“僕の方が光栄だよ。いい機会をありがとう。いい演奏をしようね”。な、な、なんていい人なんだ!
“僕の方こそ”というのは僕の意訳で実際には“It’s my honor・・・”という僕のコメントを繰り返しただけなのだが、my のところに大きなアクセントを置くことで“僕の方こそ”と聞こえたのだ。多分正しい解釈だと思う。
北浪良佳がロス留学していたときに、白人は標準語、黒人のしゃべったことは大阪弁に自動翻訳される自分に驚いた、と言っていた。そういう、喋り方自体にニュアンスを盛り込む度合いはアメリカンイングリッシュに多いと思う。
閑話休題。といってもすべてが閑話なんだけどね。
ガッドとの共演が僕と伝兵衛の最後の共演にもなってしまった。寿命っぽいことがわかっていて最後にスティーブ・ガッドを持ってきた、ようにも思えるが、最後に倒れる数日前にブルースアレイの高橋さんに翌年のガッドセッションの相談に来ていたというから死ぬつもりも予感もなかったのか。というより“いつ何時来るべき時が来ても悔いの無きよう”ということだろう。
伝兵衛には世話になった。本当に世話になったが、こちらからも出来ることは出来るだけしているから、まぁトントンかな?と考えていたのだが、最後にスティーブ・ガッドが来て、しかもその後すぐいなくなったことで“借り越し”になってしまった。“ズルいよなぁ”・・・感謝と哀悼、友情も込めてぼんやりと空を見上げる。
伝兵衛との記 完

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